【『竜とそばかすの姫』感想】「もうひとりの自分」によって変わる世界、変わらない世界
面白い映画でした。『サマーウォーズ』を観るつもりで行ったら良くも悪くも期待を裏切られた。賛否両論あるのもまあ納得って感じで、確かに突っ込みどころもいくつかあって100点満点はつけられないけど、いろいろ考えさせられる作品でした。迷ってる人はせっかくだから観てほしい。僕は作品を勧めるのに責任を持たないタイプのオタクです。
でっかい手が性癖!!!!
以下、ネタバレなどを少しずつ含みます。
あんまり量ないです。
冒頭、超巨大SNS「U」の説明シーンの最後に「世界を変えよう」というメッセージがある(少し言葉が違ったらごめんなさい)。また、映画の最後にも全く同じセリフが流れる。
「世界を変えよう」
この映画のテーマが何か、と考えたら多分これになる。二回も言ってるし。
主人公の鈴は音楽が大好きな子供だったが、幼少期に事故で母を失って以来、そのショックで歌を歌えなくなってしまう。
しかし「U」の世界で「ベル」というもうひとつの自分を手に入れてからは、仮想世界で歌姫として世界的な活躍を見せる。
ベルとして活動するようになってからも現実世界で歌うことは避けていたが、一人でいるときなんかは自然と歌えるようになったりもした。
で紆余曲折あって、映画のクライマックスで、ベルではなく鈴の姿で世界中の人に歌を披露する。これでいろいろ吹っ切れて、現実世界でも楽しく歌を歌えるようになりましたとさ。
めでたしめでたし。
全部省略したけど、鈴の変化だけを通して見ると大体こんな感じである。
これを踏まえると「世界を変えよう」というのは「革命を起こそう」とか「#Twitter一揆2021」とかそういうことではなく、「世界の見方を変えよう」みたいなニュアンスだと考えられる。
仮想世界の「もうひとりの自分」といっても、その中身は変わらず自分である。
私(鈴)は歌が好きだけど歌えない
→私(ベル)は鈴じゃないから歌える
→けどベルも鈴も私なんよね
死ぬほど噛み砕いたらこんな映画である。もうひとりの自分を纏うというのは、人間関係とか外見とかから切り離された純粋な自分の内面を確認することであり、その辺をうまい具合にシャカパチして現実に折り合いをつけて新しい視点から世界を見れるようになる=世界を変える、である。と思う。
鈴は見事世界を変えることに成功しました。
で、この映画における個人的一番の問題点について。
竜(ケイ)の話。
ケイも鈴のように幼少期に母親を亡くし、弟と父親と3人暮らしだったが、弟ともども父親から虐待を受けていました。
ケイは弟を元気づけるために「U」の世界で竜として暴れまわってヒーローを演じました。
めでたしめでたし、にならない。
暴れる竜の行動原理がよくわからん、という感想を見たけど、それもそのはずで、どれだけ暴れまわっても現実の虐待問題は当然解決しないのである。
映画の最後ではチートじみた特定作業と鈴の猛ダッシュによって兄弟は一旦は助けられたように見える。ここでケイが「諦めてたけど現実と戦うよ」みたいなことを言う。
鈴(ベル)とケイ(竜)の交流を通して、お互いが現実と向き合うことができた、みたいな構図になって映画が終わる。
けど、正直鈴のケースと違って、ケイが抱えている問題は「世界の見方」とかそういう次元じゃない気がする。外部からの介入が、大人の力が必要だろう。
ケイの父親を鈴がメンチ切って追い返し、ケイ君が「戦うよ」と言って後、兄弟がどなったかは語られない。
で、映画が終わる。最後にメッセージ。
「世界を変えよう」
いや変わってないんよ。
みたいな感じで、死ぬほどモヤモヤして終わりました。
『サマーウォーズ』が「屋根の下の小さな空間の出来事で世界規模の事件を解決する」という構図だったのに対し『そばかす』は「世界規模のアクション(ベルのライブ)で世界のどこかのたった一人を助ける」という、真逆の構図になっていたのは面白かった。ほかの細田作品を見てないけど多分比べたらいろいろあると思う。
あと曲めっちゃよかった。
以上。