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【シンエヴァ雑記】「冬月! 人類を補完するわよ!」「やれやれ......」

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そう! ゲンドウはハルヒなのだ!

 

 

 

 

おわり!!w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わりはしないけど、でも本当にゲンドウはハルヒなのである。

 

 以下、エヴァとかハルヒとかの内容に触れたりネタバレたりします。

 

 

 

 

 

 

 

  意味を調べるたびによくわからなくなるセカイ系というむつかしい言葉がありまして、前島賢って人いわく

 

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」

 

 だそうです。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 

  初めて「セカイ系」なる言葉が使われたのがいつで、何に対してなのかはわからないけど、少なくとも「セカイ系」に分類される作品群は『エヴァンゲリオン』の影響を色濃く受けているとされる。

 そして『エヴァ』を「セカイ系」に分類することも多分そんなに間違ってはいないだろう。物語の終盤などでは主人公のシンジの行動や選択、周囲の人物との交流がセカイ規模の事象にまで波及する。

 

 

 

 

 

  話は飛んで『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズである。

  ヒロインのハルヒは望み通りに世界の法則を書き換えるような強大な力を持っているが、それを自覚してはいない。主人公たちはハルヒの行動力に振り回されながら、彼女の起こす超常現象の対応や後始末に奔走する。

 .......『ハルヒ』ってこんな話だっけ? 書いててわからなくなってきたけど大体こんな感じで、まあかなりわかりやすくセカイ系だと言える。セカイ系の特徴というか仕組みを極限まで簡略化したものがハルヒというキャラクターの設定なのかも知れない。

 

 『ハルヒ』シリーズの主人公というか語り部キョンなのだが、物語を動かす中心人物は間違いなくハルヒだろう。定義の話をしても仕方がないが、ハルヒを主人公とする見方もあっていいと思う。

 

 

 じゃあ『エヴァ』の主人公って誰だ?

 

 物語は基本的に碇シンジの周囲で進行するし、エヴァに乗って戦うのもシンジだし、槍でやりなおそうとしてやらかすのもシンジだし、世間一般では主人公がシンジとされているし、これらを踏まえればまあシンジが主人公だと思う。

 

 けど作品を通して、シンジは物語を牽引するパワーを持っている感じではない。むしろ巻き込まれ系というか、かなり象徴的に「大人の都合に振り回される子供」として表現されているように思える。

 

 じゃあ振り回してるのは誰だ?

 

 『エヴァ』におけるハルヒは誰だ?

 

 

 

 

 そりゃあもう碇ゲンドウよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでは思い付きで書いたんだけど、ゲンドウとハルヒを比較してみると結構おもしろい。と思う。

 

 

 

 

 

 まずは共通項から。

 

・自分の欲望に忠実

 ハルヒは「面白いことが好き!」という理念に基づいて様々なことに手を出すし、飽きたらすぐに放り出す。

 ゲンドウは「ユイと再会する」という目的のためならどんな犠牲も厭わない。息子のシンジさえ駒として利用していた(と思う。違うかも。この辺エヴァが浅いのがばれそう)。

 ベクトルは違えど二人ともまあクッソ迷惑で、大雑把なレベルでの性格というのは結構似てるんじゃなかろうか。

 

 

 

・大きな力を持っている

 ハルヒは自覚こそしていないが、望みどおりに世界を改変する能力を持っている。

 一方のゲンドウは超人的な能力を有しているわけではないが、特務機関ネルフの司令で、汎用人型決戦兵器3台ぐらいを好き勝手に出来るし、謎組織ゼーレともパイプを持っていてなんかいろいろ悪さしてそう。

 つまりゲンドウは、ファンタジックな女子高生であるハルヒに対して、金とか地位とかコネクションとか、めちゃくちゃリアリスティックな「力」を持っている大人などである。なんならそのコネでファンタジックな槍やら巨人やらにもアクセスできる。

 

 

 

 

 ・なんか横のやつが一生「やれやれ」言い続ける

  ハルヒの隣のキョン。ゲンドウの隣の冬月。どちらも一種の諦念のようなものが見えながら、ハルヒ/ゲンドウのそばに居続ける。ここは後でもうちょっと言及します。

 

 

 

 

 

 

 

 次にふたりの違い。

 

 

 

 

・力への自覚

 これが一番でかいと思うし、なんならそのままこの記事の結論になる。逆に言えばふたりの違いってこれぐらいじゃないか?

 

 

 

 もしハルヒが自分の能力を自覚したとして、どう振舞うことになるのかはわからない。宇宙人未来人超能力者その他が跋扈するワンダーランドを創造するのかもしれないし、一通りめちゃくちゃにして満足したら元に戻すのかもしれない。もしかしたら自覚した上で能力を使おうとしないのかもしれない。

 もしハルヒが面白半分で世界をぐちゃぐちゃにしようとしたら、まあ隣にいるキョンがそれを止めようとすると思う。原作のどっかでも、キョンハルヒを現実に引き留める楔、みたいな話があった気がする。少しぐらい言葉が違うかも。万が一まったくの勘違いだったらまじでごめんなさい。読んだの何年前だ。

 

 けど、仮に能力を自覚したハルヒが面白半分でなく、本気で何か大きな改変を実現したいと思ったとしたら、キョンはどうするだろうか。いつものようにたしなめるかもしれないが、キョンは決してハルヒを軽視したりないがしろにしたりしているわけではない。ハルヒが真剣で、かつ助けを必要としているなら、キョンは協力するんじゃなかろうか。

 

 

 

 というわけで、この記事の結論としては、

 

 碇ゲンドウは自分の力を自覚している涼宮ハルヒの成れの果て

 

 冬月コウゾウはだいたいキョン

 

 

 ということでした。なんか頭の中でこねくり回してる段階ではもうちょっとまとまってた気がするけどもう書くこと思い出せない。何かあれば追記するかもしれないししないかもしれない。

 

 

 

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