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『コードギアス 反逆のルルーシュ』にみる 物語 - キャラクター間の対立構造

※本記事はアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』全50話の致命的なネタバレを含みます

寝不足のテンションで書き殴ったので「何言ってんだお前」になる可能性が大いにあります

 

 

 

 

 

 

 ギアスの話に入る前に、ひとつ。舞城王太郎という小説家がいまして、彼のデビュー作は『土か煙か食い物』といいます。

 

煙か土か食い物 (講談社ノベルス) | 舞城 王太郎 |本 | 通販 | Amazon

 

 で、この本についてのとある解説がとても印象的で記憶に残っています。

 曰く、「ミステリとしての物語が主人公を取り込もうとするが、主人公がそれを拒んでいる」というものです。

 『土か煙か食い物』は殺人事件から始まり、物語が進むにつれて犯人にまつわる暗号やヒントが次々現れます。つまり、物語がミステリとして解決されるために、主人公に情報や機会が与えられていく、という見方です。しかし、本作の主人公は頑なにそれらを無視し、ミステリ小説の探偵役とはかけ離れた強引な手段で犯人を追うのです。

 

 この物語がどう決着するかはいつか実際に読んでもらうとして、「物語が主人公に働きかける」という視点はとても面白いと思いました。

 

 どの物語にも、そのジャンルによる「方向性」とでも呼ぶべきものがあって、遅かれ早かれそれに沿って物語が進むと見ることができます。

 

 例えば、上述したようなミステリであれば、事件の謎や暗号、ヒント、種明かしとどんでん返し。

 学園ラブコメディであれば、学校内外でのイベントや、それに伴うヒロインとの関係値の増減。

 ロボットアニメであれば、強大なライバルの存在と戦いを通しての主人公の成長。

 

 など。あくまで一例ですが、要は「ジャンル」によって期待される「王道の展開」が存在するということです。

 で、この「王道の展開」に主人公を誘導する役割をキャラクターが担うこともあります。この場合は「舞台装置」みたいな呼び方もする思います。ミステリなら警察関係者や探偵助手、ラブコメなら各種ヒロイン、など。

 

 

 じゃあ『コードギアス』のジャンルって何だろう? と言いますと、一概には言えないと思います。というより、意図的に複数の異なるジャンルにまたがって話が作られていると言えるでしょう。

 

 挙げるなら、

 

・本筋といえる、神聖ブリタニア帝国の破壊を目指す、ピカレスク(悪者)ロマンとしての「ルルーシュ編」

・望まず敵対した旧友と刃を交える、ロボットアニメとしての「スザク編」

・学生として過ごす日常における、ラブストーリーとしての「シャーリー編」

・ギアスという力の謎や、世界の外の神的存在にかかわるSFとしての「シャルル編」

 

 みたいになるでしょうか。

 

 それぞれのジャンル(の舞台装置としてのキャラクター達)は、物語を進めるためにルルーシュに働きかけます。スザクは敵として何度も立ちはだかり、シャーリーはルルーシュランペルージに迷いをもたらし、シャルルやV.V.や謎の古代遺跡は世界の壮大な謎を示唆します。

 

 しかし、「ルルーシュ編」以外のジャンルが物語の本筋に取って代わることはありませんでした。そうなった理由として、「ルルーシュブリタニアの破壊を最優先しているから」と言ってしまうこともできるでしょうが、ひとつ違った見方を提案します。

 

 

 それは「主人公ルルーシュが各ジャンルの舞台装置を排除しているから」というものです。

 

 

 最序盤からたびたび現れるスザクは圧倒的な機体性能と操縦技術でルルーシュを追い詰めますが、ルルーシュパイロットとしてのスザクを克服することなく、罠や謀略によって戦闘を回避する選択をします。つまり「ロボットアニメにおけるライバルとしてのスザク」は物語から緩やかに排除されます。

 

 ルルーシュに思いを寄せながらゼロの秘密を知ってしまったシャーリーは、ルルーシュのギアスによって記憶を消去され日常へと戻されます。ここで「ラブストーリーにおけるヒロインとしてのシャーリー」は物語から一旦排除されます。まあ後にもっと明確に「排除」されてしまうのですが、ルルーシュの思惑としては日常世界に留まって欲しかったに違いないでしょう。

 

 物語の終盤でシャルルの計画の全貌が明かされますが、ルルーシュはラスボスとしてのシャルルを倒すという形ではなく、集合無意識に、言うなれば「私たちのことは放っておいてください」と「お願い」をする形で計画を阻止しました。つまり「SFにおける神のような超常的存在」を対話によって丁重に物語から排除して、シャルル編の幕引きとしたのです。

 

 

 ではここで、C.C.はどの物語に属する舞台装置なのでしょうか? きっと、もともとはシャルル編に含まれるキャラクターだったのでしょう。C.C.の死によってシャルルの計画が完成するはずでしたが、最後にC.C.がそれを拒みました。つまり、ルルーシュと同じく、物語に取り込まれるのを拒む立場だと言えます。

 

 最序盤から何度も登場していた「共犯者」というワードがあります。C.C.とルルーシュはお互いに共犯者だと。いろいろな解釈ができる単語ですが、自分たちを取り込もうとする「物語」に「反逆」する二人の関係性を「共犯」と呼ぶのも面白いと思いました。

 

 

 ここまで主人公ルルーシュがいかに「ルルーシュ編」以外の物語を拒み排除してきたかという話をしてきましたが、では本作は最後にピカレスクロマンとしての「ルルーシュ編」を受け入れて終わったのでしょうか。

 

 復讐劇に期待される「王道の展開」は当然「復讐の成就」でしょう。物語ラストでこれはある意味成功し、ルルーシュはあらゆる力を手に入れてブリタニア帝国を牛耳るまでになりました。しかし物語はここでは終わりません。ルルーシュは自らの死によって世界に平和をもたらそうとします。

 

 「ルルーシュ編」の最大の舞台装置は、主人公であるルルーシュ自身です。

 

 ルルーシュは最後に自分という舞台装置を排除することで、あらゆる物語を拒絶しきったのではないでしょうか。

 

 

 という解釈をしてみると、「反逆のルルーシュ」という副題がなんだか今まで以上にしっくりくるのでした。

 

 

 

 

 

おしまい