<古典部>シリーズ感想・逃げ切った千反田える
「いまさら翼といわれても」まで一気読みした感想。見返しはしてないのであやふやな部分あるかも。そんなに長くはなりません。
めちゃくちゃ面白かった。1巻時点ではまあ雰囲気良いかもなーぐらいだったから間が空いちゃったけど2巻から情緒のジェットコースター。
まずミステリとして面白い。伏線の配置が病気かと思うほど緻密な一方で解決シーンでの伏線回収も自然で素敵。
愚者のエンドロールで、登場人物たちにとって下位の世界である作中作の映画について推理バトルを繰り広げるのは「うみねこ」を感じた。メタミステリ万歳。
また、クドリャフカの順番で事件が一応の解決を見せた後に二転三転するのは戯言とか世界シリーズとかの初期の西尾維新チック。好きなものと似たものは好き。
青春ものとしても面白かった。まともな恋愛ストーリーに触れてこなかった身としては手作りチョコレート事件は刺激が強すぎた。ラストの里志の語りを読んでる時はマジでエロ本を拾った小学生みたいに茹で上がってた。
奉太郎とえるの距離感もキュンキュンする。ポーカーフェイスの奉太郎が途中からは地の文でえるにメロメロになってて笑う。個人的にはえるに全部曝け出して骨抜きにされる奉太郎が見たいけど、そうならないから良いんだろうなーとかなんとか。欲しいものが与えられないのが気持ちいい。これもマゾヒズム。
また、シリーズを通して変化するキャラクターたちの内面について考えるのも楽しかった。
小学生の奉太郎が掲げた「省エネ」のモットーを、彼の姉は「長い休日」と称し、「あんたが心の底から変わらなければ、きっと誰かがそれを終わらせる」とも言った。
予言通り、高校入学後に出会ったえると交流するうち、そのモットーは少しずつ(奉太郎が気づかなくても)意味を失っていった。この休日の終焉は奉太郎が強く望んだものではなかったけれど、何かに強制された不本意なものではなかった。また、何か強力な封印からの解放のような決定的なものでもなく、金曜の後に土日が来てまた月曜が来るように、いつでも一休みに戻れる程度の目覚め。そういう意味でも姉は「休日」という言葉を選んだのかもしれない。姉すごない?
昔の里志は何をするにも一番を目指すぐらい真剣に取り組んでいたが、いつしかそのスタンスに疲れ、何かにこだわるということを辞めた。摩耶花から寄せられる好意を悪しからず思いつつも、仮にそれに応じれば摩耶花にこだわることになり、このことを許容できずに何年も保留していた。しかし長い時間をかけて、里志はこだわらないことにこだわることを辞め、二人は恋仲と相成った。縛られないことがポリシーみたいな感じだったのにそのポリシーに一番強く縛られていたわけだ。
摩耶花は抽象化が難しかった。漫研のいざこざを経て退部するまでにどんな変化があっただろうか。
一番のターニングポイントは、河内亜也子が言った「漫研はあんたの足を引っ張るし、あんたも漫研にとって厄介」みたいな一言だと思う。これは「愚者のエンドロール」で入須が奉太郎に言った「誰でも自分を自覚すべきだ。でないと見ている側が馬鹿馬鹿しい」に通ずるものがある(入須はある種のハッタリだったけど)。
「夕べには骸に」に感銘を受けて漫画を描き始めた摩耶花が、自分の才能と立つべき場所を自覚した。ちょっと微妙だけど一旦これで消化した。
里志の逡巡は4巻収録の「手作りチョコレート事件」で、摩耶花の決断は最新巻収録「私たちの伝説の一冊」で、そして奉太郎のポリシーの顛末は、同じく最新刊収録の「長い休日」で語られた。
刊行順、掲載順に読んでいくと、この時点で残り1編。奉太郎のバックボーンが語られたことで、残すは千反田える。
さて現状の最新話である「いまさら翼といわれても」が始まる。僕が、読者が千反田えるに注目するのを尻目に、彼女は顔一つ見せず姿を消してしまう。
迫る合唱祭。えるを追う奉太郎と古典部員たち。減っていく紙幅。
果たして、奉太郎はえるに辿り着いた。二人は言葉を交わし、えるは心情を吐露し、物語は幕を閉じる。
しかし、奉太郎と同じものを見聞きしてきたはずの僕は、最後にえるを見つけることが出来なかった。
彼女の境遇も失踪の理由も今の感情も理解できた。えるが語ってくれたから。しかしこのシリーズを通して、彼女が何を思い、どう変化してきたのかが全く分かっていなかった。
思えば色々な事に答えが出せていない。「大罪を犯す」でなぜえるは尾道に怒りを覚えたのか。「連峰は晴れているか」の最後で、えるは奉太郎に何を伝えようとしたのか。
何もわからなくなったので、もう1周してきます。遠からずまたここで。