『映画大好きポンポさん』にぶん殴られて大怪我した話
観てきました。素晴らしい映画でした。
構成も音響も美術も最高!
何千字もかけて出来の良いところを褒めまくるのもいいけど、たぶんほかの人がやってくれてるし、どうせ月並みの言葉しか出てこないのでほどほどに。
以下、一応ネタバレ注意
この映画には二つの大きな人物対比があった。と思う。
ひとつは、映画しかないジーン(主人公)と、音楽しかない「帝王」(作中作の主人公)(名前忘れた)との対比。
もうひとつは、ジーンとその学友のアランとの対比。
前者はこの映画の心臓でありオチであり観客へのメッセージである。作品内で語られている以上のことは語れないしそれで十分だと思う。
ので後者について思ったことを述べる。
ジーンは少年時代から重度の映画オタクで、友達も少なく、やや卑屈で根暗な気質だが、映画を監督する機会を得て、情熱を作品にぶつけて成功を収めた。
アランは学校では女の子を連れて歩くようないわゆる「スクールカースト上位」に位置し、卒業後も銀行に就職するエリートコースに進んだが、仕事ではうまく行かず退職も考えるようになる。しかしジーンとの再会によって銀行マンの本懐に気付き、進退を賭けた大博打を打ってジーンの映画への融資を取り付けた。
最も重要なことだが、この対比はいわゆる「アリとキリギリス」ではない。
アランは別にサボったり楽をしたりしていたわけではない。学業ではおそらく映画バカのジーンよりも熱心だったと思う(想像だけど)し、銀行への就職は底知れぬ努力の賜物に違いない。
アラン自身も「うまくやってきた」自負はあったようだし、実際、客観的に見てアランは「成功している」人物といえる。
それなのになぜ(ジーンと再開する前の)アランが満たされていないのかというと、彼自身の言葉を借りるなら学業も仕事も「こなすだけ」だったからだ。
仕事とか、自分の行いが「何のため」なのか。これはアランに欠けていたものだし、ジーンも編集作業を通して気づいたものだった。(「帝王」も、少女との交流を通してこれを思い出した。だとしたら三角形の対比とも見られる)
短い言葉にするなら「やりがい」とかになるか。安っぽいけど。
アランは(たぶん)学生時代からエリートコースに進むビジョンを持っており、実際に銀行に就職できたが「やりがい」を持たない「こなすだけ」の仕事ではうまく行かず、満たされない日々を送っていた。
一方のジーンは将来についての具体的なビジョンもないまま映画撮影のアシスタントをしていたが、映画に対する情熱だけは一貫しており、それを出力する機会を得たときにはすべてを出し切って作品を完成させた。
じゃあ僕は?
僕は漫画が好きだ。
小学校低学年では自由帳に漫画を描いてクラスメイトに貸し出していた。
将来は漫画家になりたかった。
ここ十年絵なんて描いてないけど。
僕はゲームが好きだ。
中1ぐらいのときにプログラミングを勉強し始めた。
将来はゲームクリエイターになりたかった。
今は大学のプログラミングの課題を嫌々こなしてるけど。
僕は小説が好きだ。
高校では文芸部に所属して小説を書いていた。
将来は小説家になりたかった。
大学に入ってから一文字も書いてないけど。
趣味は多い。けどそのどれに対してもジーンのような情熱は持っていない。ゲームやら漫画やらを「消費」するだけの日々。なんならその「消費」も「こなすだけ」かもしれない。
ジーンのような情熱もなく、アランのような努力もしてない。
この映画は文句なしの傑作だし感動もした。しかしそれ以上に自省による痛みが強すぎた。
痛い。
恥ずかしい。
何も出来なくてごめんなさい。